女優がもとめる最後のピース

〔モデル 27才 女性〕
makeup

小さな劇団の中で長年端役しかまわって来なかった私が、いきなり主役に抜擢されたのはもともと主役を演る予定の人気女優がスキャンダルで連絡が取れなくなった事が原因だから、私の実力ってわけではない事は重々承知しているつもりだ。

だが、それでも折角つかんだチャンスだからこれを機会に大きくステップアップしたい!と願うのは、職業を問われれば「女優です」と応える者の性、とも言えるのだろう。

「本当の私はもっと引っ込み思案で、舞台の中央で激情を湛えながら長台詞を回すなんてガラじゃないんだけど。」
もはや後戻りできないところまで来ているのは頭ではわかっているのだけれど、強気な野心に心を燃やした後には決まって、そんな自分に対する弱いイメージに襲われた。
長年にわたって私自身が私に対して培ってきた、自分への弱いイメージ。それは大事な状況だからといって空気を読んでしばらく姿を見せなくなる、といった類のものではなかったのだ。
そしてその事は当然、私の舞台上のパフォーマンスにも影を落とす。
演出家の厳しい叱咤。
監督の雲を掴むようなリクエスト。
事ここに及んでようやく私は「自分はぬるま湯につかっていた」と認識した。そして更に悪い事に、私には自分を鍛え直す時間などないのだ。

「いったい全体そのなんとかいう乳酸菌が、今の私にどんな風に役に立ってくれるって言うんですか!あなたは!」
私の声は幾分、いやかなり怒気を含んだものとなっていたと思う。
目の前にいるこのBC30子という女性が尊敬している劇団のベテランからの紹介であることを一瞬忘れていたからというよりも、あまりにも簡単に「お役に立てると思いますよ」と私に言った事に、強い苛立ちを感じたのだ。
無論、私は極度に追い込まれていた状況であったから、些細な物言いが引き金となってストレスが爆発してしまうのを抑えられなかったというだけの話で、彼女にしてみればこの時点で気分を害して私の前から去るという選択も出来たのであろうが、どうやらこのパターンは彼女にとっては「よくあること」のようで私の八つ当たり混じりの質問に冷静に対応してくれたことは、今でも本当に感謝している。

「どんな風に。。ねえ。」
そう呟くと彼女は。。。
彼女は「恐ろしく真剣に考え始めた」のである。
それは時間にすればものの数秒のことではあり、考え始めるとほぼ同時に彼女の中で結論は出たようではあったが。

「こうしたものは効果だの効能だのは禁止されているので、はなはだ抽象的な表現で理解してもらうしかないのだけれど」と彼女は前置きした。
「ええ。存じてますわ。構わないですよ。」その時はまだイライラしていた私は、その前置きを「挑戦的だ」と解釈した。

すると彼女はたった一言
「ヨドミヲハラウ」
と言ったのだ。


「澱みを祓う」?
何度もその言葉は私の心の中でこだました。
そのこだまは、ここ数か月の舞台の準備の記憶と混ざり合う。
やがて、そのこだまは私を最も悩ませているあの気難しい監督が私の演技にクレームをつける時に決まって言う口癖の「なんて言ったらいいのかなあ。。」という言葉の向こう側と、ぴったり重なり合った。

心の底にあった鏡にひびが入って、やがて割れた。
いつしか私はうつむいて、声を出さずに泣いていた。

私は、理解したのだ。

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